前回まで未来形について考えてきました。
特に겠という単語はそもそもどういう意味なのか、日本人にはわかりづらいですよね?
ということで、今回もう少し「겠」の意味を考えていきたいと思います。
朝鮮語辞典が説明する겠の意味とは?
韓国語を勉強している人なら恐らく誰もが使っている小学館の「朝鮮語辞典」。
この有名な辞書に書いてある「겠」の意味には、次のような項目が挙げられています。
- 推量を表す
- 意志を表す
- 控えめな気持ちを表す
- 予告・指示・丁寧な命令を表す
- 可能を表す
- 強調を表す
- <았겠다[었겠다]の形で>・・したのだろう
私も今気づいたんですが、「未来」という意味はどこにも書いていないんですね。
韓国語の教科書などには、ほぼ必ず未来形のところで習う「겠」なのに、なぜ辞書には未来という意味が出てこないのか?
それが、前回の記事で説明したとおり、「겠」がの意味の中心が「話し手自身の気持ち」にあるということがわかれば話がつながってきます。
겠という単語は話し手の思い。
だから意味がたくさん出るのです。
推量の겠
どういうことか具体的に見てみるために、小学館の朝鮮語辞典の例文を確認してみることにしましょう。
「推量を表す」というところでは、2つの例文が示されています。
내일이면 개겠지요(明日になれば晴れるでしょう)아마 아무도 없겠지요(たぶん誰もいないでしょう)
しかし、それぞれ「〜でしょう」と未来形の訳し方をしています。
なぜかと言うと、「明日になれば晴れる」ということも「誰もいない」ということも未来に対する話だからですね。
では、なぜ「推量」という意味がつけられるのかと言うと、겠の意味は「話し手の思い」だから。
つまり「明日になれば晴れる」というのは未来の話だけれども、この話は、話し手自身が「私の個人的な主観ですよ」と「겠」を通じて主張しているんです。
逆にいうと、100%事実になるとは限らない。
あくまで話している人が自分で個人的な予想をしているんですよ!と伝えたいから겠を使っているんだということなんです。
”予想”という言葉をちょっと難しくすると「推量」ですね。
推し量る。
話し手の人が「未来を推し量っている」ということを伝えてくれるのがここでの「겠」の役割なんです。
意志の겠
では、2つ目の「意志」はどうなのか?
제가 들겠습니다(私がお持ちしましょう)같이 가시겠어요?(一緒にいらっしゃいますか?)
제가 들겠습니다(私がお持ちましょう)で注目していただきたいのが主語です。
主語は「私が」になっています。
겠というのは話し手が考えている未来に対する主観を言葉です。
主語が「私が」で겠が使われている文章の場合、その文章は「話し手自身が考えている自分自身の未来」を表しているということになるんです。
話している人が、自分の未来は〇〇だろうという気持ちを込めて発言している・・・
つまり、自分自身の未来を話すとき겠を使うと「〇〇するんだ!」という意気込みを表しているということになるわけです。
意気込みというのは、要するに「意志」です。
だから、主語が「私」になったとき겠が使われていると、それは「意志」という意味に分類されることになります。
では、同じ例文の같이 가시겠어요?(一緒にいらっしゃいますか?)はどうなのか?
これは主語が「あなた」になります。
話し手の話を聞いている人なので、「聞き手」と言ってもいいかもしれません。
聞き手の未来の行動を尋ねる疑問文のときに「겠」をつけると、겠の意味は「意志」になります。
なので、「같이 가시겠어요?」という文章は、”あなたは一緒に行くんだ!という考えを持っていますか?”と質問しているということです。
本来、겠は話し手の未来に対する思いや主観を表す言葉なのですが、ここでは疑問文です。
疑問文なので、話し手が聞き手側の未来に対する思いを尋ねているという関係ができたということになります。
相手の「意志」を尋ねているわけですね。
ちょっとややこしかったかもしれませんが、話し手が自分自身の未来を主観的に話していることを表すから「意志」という意味が導きだされたということになります。
控えめな気持ちを表す겠
この用法での例文は
잘 모르겠습니다.(よくわかりません)처음 뵙겠습니다.(初めてお目にかかります)길 좀 묻겠습니다.(少々道をお尋ねします)
という3つの例文が挙げられています。
naverの辞書では「婉曲」という表現で説明されていたりもします。
「控えめな気持ちを表す」ということから別に겠がなくても意味が通るわけですが、なぜ겠をわざわざ入れるのかというとやはり겠のキーワード「話し手の気持ち」をベースにして考えるとわかりやすくなります。
겠を使わずに모릅니다(わかりません)とか言うと、逆に気持ちが全く入っていない文章になります。
要するに淡々としているというか、冷静すぎというか自分の行動を客観的に事実として述べているだけという感じがするわけです。
しかし、ここで「話し手の気持ち」を乗せた言葉である「겠」を付け加えると、「あくまで私の気持ちなんですが・・」という遠慮の気持ちとか「私はこういう気持ちを持っているんですよ!」という”意志”ですね、こういう個人的な主観であるという意味合いが文章全体に乗っかるわけです。
すると、淡々と話されるより、表現がやわらかく感じるので、「控えめな」という説明が出てくるわけです。
日本語でも「〜します!」とか「〜なんです!」と言い切るより、「〜しようと思います」とか「〜になると思います」などというように「思います」をつけることで自分の個人的な考えだよということをわざわざつけることがあります。
なぜかというと言い切るより、個人的な考えとした方が文章が柔らかくなるからです。
韓国語の겠にもこの「〜と思います」というような機能があるということです。
겠のキーワードはあくまで”話し手の気持ち”なんですね。
予告・指示・丁寧な命令を表す겠
では、4つめは「予告・指示・丁寧な命令を表す」ですが、例文は
잠시 후 열시가 되겠습니다(まもなく10時になります)
というのが挙げられています。
これは「予告」になりますね。
겠はまだ実現していないことに対して使う言葉なので、「これから〇〇する」とか「これから〇〇になる」というこれから起きるだろうことを説明したいときに使えます。
こういう表現を断言せずに、「私が思うんですが・・」というニュアンスを入れて、やわらかくする機能を持っているわけです。
可能の겠
5つ目は「可能」。
그 바위쯤은 아이라도 움직이겠다(そのくらいの岩なら子供でも動かせるさ)
아이라도 움직이겠다 →子供でも動かすだろう
「可能」というより「可能性」と言った方がいいかもしれませんが、겠は「話し手が主観的に考える未来」なので、「将来〇〇が起こると思うよ」という表現をしたいときには겠を使うのが相応しいですわけです。
で、「〇〇が起こると思う」ということ自体で可能性があるということを論じているわけですから、この使い方を「可能」ということで説明していることになります。
맛있겠다という表現がありますが、맛있다(おいしい)に겠をつけるので、ニュアンス的に「おいしいと思うよ」ということになり、結局これが「おいしそう!」という場面で使われるセリフになるのですが、これも「可能」の一種ですかね。
強調の겠
6つ目は「強調」です。
例文は、
별소리 다 듣겠다(とんでもないことを言うんだね)
です。
これはちょっとわかりにくい使い方ですね。
なので、naverの日本語辞典の별소리の項目を調べてみるとこういう文章がありました。
정말 별소리 다 듣겠네 (ほんとに意外な話を聞かされるね)
日本語辞典の方ではこれ以上の説明はないのですが、naverの国語辞典のほうには겠の意味として、
헤아리거나 따져 보면 그렇게 된다는 뜻을 나타내는 어미.(よくよく考えたり問いただしてみると、そのようになるという意味を表す語尾)
という項目があり、そこにある例文は次の通りです。
별사람을 다 보겠다.(とんでもない人を見させられるね)
小学館の朝鮮語辞典ではこれを「強調」と説明しているわけですが、듣겠네というのは結局「自分の未来は”聞くこと”になる!」という話し手の主観的な未来を言っているわけですから、ちょっと例示されている文章が韓国語独特ではありますが、겠のキーワードそのままの使い方だと言えるのではないでしょうか。
ということで「겠」のイメージは掴めましたでしょうか?
겠は話し手の気持ち、主観的な未来・・・
このように考えるとニュアンスが取れるのではないかと思います。
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