なぜ辞書には「겠」の意味がたくさん載っているのか?

朝鮮語辞典に載っている겠の意味はいくつあるか?

昔の韓国語学習者であれば、みんながお世話になった小学館の「朝鮮語辞典」。

この有名な辞書に書いてある「겠」の意味には、次のような項目が挙げられています。

  • 推量を表す
  • 意志を表す
  • 控えめな気持ちを表す
  • 予告・指示・丁寧な命令を表す
  • 可能を表す
  • 強調を表す
  • <았겠다[었겠다]の形で>・・したのだろう

意味が7つも載っているんです。

しかも、韓国語教室では겠を未来形だと習うのに、辞書には「未来」という文字すら書いていないんですよね。

なぜ未来という意味が出てこないのか?

それはこちらの記事で説明したのですが、「겠」が挟まっている文章は「話し手である”私自身”の気持ち・考え」なんだということを示しているからです。

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겠という単語は話し手の思いを表す。ここから意味がたくさん派生していくことになります。

この記事では7つ目の「<았겠다[었겠다]の形で>」を除いた6つの意味について解説していきます。

推量の겠

どういうことか小学館の朝鮮語辞典の例文を確認してみましょう。

「推量を表す」というところでは、2つの例文が示されています。

내일이면 개겠지요(明日になれば晴れるでしょう)
아마 아무도 없겠지요(たぶん誰もいないでしょう)

どちらも「〜でしょう」と一般的な未来形の訳し方をしています。

ところで「推量」とはなにかというと「推測」「予測」「予想」のことです。推し量るですね。

겠の第一の意味は「推測・予想」なんだよと小学館の辞書はおっしゃっているのですが、なぜ推測・予想いう意味になるのかというと、겠にはその文章が「話し手が思っていることだよ」と示す役割をもっているからです。

どういうことか考えてみましょう。

一旦、내일이면 개겠지요(明日になれば晴れるでしょう)という文章から”推測・予想”の意味をとってみます。すると、「明日になれば晴れる」という事実をあらわす文章になりますよね?

「明日晴れる」と断言しているとも言えます。

つぎに、この断言した文章にもう一度「겠」をもどしてみます。

くりかえしですが、겠は「この文章は話し手である私が思っている内容なんですよ」というニュアンスを付け加える働きをします。

つまり、「明日になれば晴れる」に겠を付け加えると、「明日になれば晴れる」と「話し手である私が思っているんですよ」という意味になるんです。

これが겠が付け加えられた내일이면 개겠지요のニュアンスで、これを「推測」と名づけているわけです。

「明日になれば晴れると私が思っている」という文章は推測・予想している意味になりますよね。

逆にいえば、「明日になれば晴れる」のは私が思っているというだけのことなので、必ずしもそうなるとは限らないというニュアンスにもなります。”断言”ではないんだよという意味を겠が付け加えたとも言えますね。だから、推測・予想です。

そういう事情から、겠が意味するのは必ずしも未来のことだけではありません。自分の目には見えていないことを推測・予想するときにも使います。

それが「아마 아무도 없겠지요(たぶん誰もいないでしょう)」の例文です。これは未来ではなく、現在の状態を推測・予想している文章です。

意志の겠

では、2つ目の「意志」はどうなのか?

제가 들겠습니다(私がお持ちしましょう)
같이 가시겠어요?(一緒にいらっしゃいますか?)

제가 들겠습니다(私がお持ちましょう)で注目していただきたいのが主語です。

主語が「私」になっています。

この文章は제가 듭니다(私が持ちます)という事実を表現する文章に겠が付け加わった文章です。

推量の説明でもお伝えしましたが、겠というのは「話し手である私が思っていることだよ」という意味を追加する言葉ですので、ここでは「私が持ちます」と「話し手である私が思っているんですよ」という文章になります。

つまり、「私が持つと私が思っている」と話し手である私が自分の行動を推測・予測しているともいえるんです。

ただ、この書き方だと、「私」を客観視するもう一人の「私」がいて、もう一人の「私」が自分の行動を第三者的に予測している”幽体離脱論法”になってしまいますので、「私」を統一します。

「私が持つと思っている」

するとどうでしょうか?さっきより「私」に覚悟が出てきた感じがしませんか?

この文章をさらに「私は持つ気がある」と訳し変えることもできますが、こうすると「私の意志」がよりはっきり見えてくるのではないでしょうか?

実際問題、겠は「話し手である私が思っていることだよ」というニュアンスをこの1文字に凝縮させた単語ですので、「私」が主語になると「私」も凝縮されて、かなりアグレッシブな意味になるんです。

よく会社に新しく入社してくる人が열심히 하겠습니다!(熱心にやります!≒頑張ります)とあいさつしますが、열심히 합니다に겠が入ることによって、その人の「気合い」が伝わります。

つまり「私」が主語になった文章に겠を入れると、文章に話し手の「気合い」が入るわけです。

私はこれが「意志」の実態だと考えています。

겠が使われている文章の主語が「あなた」で疑問文の場合

では、同じく例文になっている같이 가시겠어요?(一緒にいらっしゃいますか?)はどうなのか?

まず辞書の訳文が「一緒にいらっしゃいますか?」となっていますが、この訳だと意味が曖昧なので「一緒に行かれますか?」と訳してみてください。

ところで、この文章は主語が「あなた」です。「あなた」とは「聞き手」になっている人ですね。

聞き手に対して「같이 가세요?(一緒に行かれますか?)と聞けばいいところに、わざわざ겠を付け加えたわけです。

日本語にすると「같이 가시겠어요?」も「같이 가세요?」も同じ訳文になるので分かりづらいですが、겠が加わるとやはり「思い」が加わります。

ただ、いままでの説明と違うのは겠が「話し手である私が思っていること」だったのが、疑問文になると「聞き手であるあなたが思っていること」に変わるところです。

たとえば、제가 이런 짓을 하겠어요?という文章は「私」が主語になっている疑問文で、「私がこんなことをすると思いますか?」という意味ですが、「思っている」かどうかを確認されているのは聞き手側です。

「私」が主語であっても疑問文にすると、겠は聞き手側がどう思っているのかを尋ねる意味になります。

같이 가시겠어요?は「あなたは一緒に行く」と「思っていますか?」と確認されている文章になるのですが、要するに相手の「意志」を尋ねているわけです。

控えめな気持ちを表す겠

この用法での例文は

잘 모르겠습니다.(よくわかりません)
처음 뵙겠습니다.(初めてお目にかかります)
길 좀 묻겠습니다.(少々道をお尋ねします)

という3つの例文が挙げられています。

naverの辞書では「婉曲」という表現で説明されていたりもします。

「控えめな気持ちを表す」ということから別に겠がなくても意味が通るわけですが、なぜ겠をわざわざ入れるのかというとやはり겠のキーワード「話し手の気持ち」をベースにして考えるとわかりやすくなります。

겠を使わずに모릅니다(わかりません)とか言うと、逆に気持ちが全く入っていない文章になります。

要するに淡々としているというか、冷静すぎというか自分の行動を客観的に事実として述べているだけという感じがするわけです。

しかし、ここで「話し手の気持ち」を乗せた言葉である「겠」を付け加えると、「あくまで私の気持ちなんですが・・」という遠慮の気持ちとか「私はこういう気持ちを持っているんですよ!」という”意志”ですね、こういう「個人的に思っていることなんだ」という意味合いが文章全体に乗っかるわけです。

日本語でも「〜します!」とか「〜なんです!」と言い切るより、「〜しようと思います」とか「〜になると思います」などというように「思います」をつけることで自分の個人的な考えだよという意味をわざわざつけることがあります。

言い切るより、個人的な考えとした方が文章が柔らかくなるからです。

韓国語の겠にもこの「〜と思います」というような機能があるということです。

겠のキーワードはあくまで”話し手の気持ち”なんです。

予告・指示・丁寧な命令を表す겠

4つめは「予告・指示・丁寧な命令を表す」ですが、例文は

잠시 후 열시가 되겠습니다(まもなく10時になります)

というのが挙げられています。

この例文は「予告」になるんでしょうね。

ちなみにnaverの日本語辞典にはこの用法が掲載されておらず、おそらくひとつ上の”控えめな気持ち”にふくめているのかと思います。

他に例文がないので、これ以上私もよくわからない説明です。

可能の겠

5つ目は「可能」。

그 바위쯤은 아이라도 움직이겠다(そのくらいの岩なら子供でも動かせるさ)

この用法もnaver日本語辞典にはない説明です。私の考えでも「可能」というより「可能性」とか「推量」に分けた方がいい気がします。

「아이라도 움직이겠다」という韓国語は「子供でも動かせる」という意味ではなく、「子供でも動かすだろう」と訳した方がいいからです。

「動かすだろう」という訳語を「動かせるさ」と小洒落た感じにしていて、こうした訳し方はドラマの字幕ではふさわしいんですけど、韓国語の実態を反映しているわけではありません。この「せる」はあくまで日本人が自然に理解できる文章にした”意訳”だからです。

겠に「可能」という意味があると説明するのは無理があるように思います。

強調の겠

6つ目は「強調」です。

例文は、

별소리 다 듣겠다(とんでもないことを言うんだね)

です。

これはちょっとわかりにくい使い方です。

naverの日本語辞典の별소리の項目を調べてみるとこういう文章がありました。

정말 별소리 다 듣겠네 (ほんとに意外な話を聞かされるね)

별소리というのは、根も葉もない話、根拠のない話、いい加減な話という意味で、naverの国語辞典を見ると별소리のうしろにはほとんど다が続くと書いてあります。

なので、かなり特殊な言い回しなのですが、同じくnaverの国語辞典にも겠の意味として、

헤아리거나 따져 보면 그렇게 된다는 뜻을 나타내는 어미.
(よくよく考えたり問いただしてみると、そのようになるという意味を表す語尾)

という項目があり、そこにある例文に

별사람을 다 보겠다.(とんでもない人を見させられるね)

というように小学館の朝鮮語辞典と同じような例文を掲載しています。

小学館の朝鮮語辞典ではこの用法を「強調」と説明しているわけですが、naver国語辞典の説明には「よくよく考えたり問いただしてみると」とあり、この「問いただす」も「突き詰めて考える」という意味ですので、ここでもやはり「話し手である私が思っていることだよ」という意味が付け加えれていると考えばいいですね。

この項目はあまり気にしなくていいかと思います。

겠のまとめ

ということで「겠」の説明でした。イメージは掴めましたでしょうか?

겠は文章に「この文章は話し手である私が思っていることだよ!」という意味を付け加える機能を持っている・・。

このように考えるとさまざまな文章のニュアンスが取れるのではないかと思います。

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