韓国語を勉強していると、違う表現なのに同じような意味になってしまうものがよくあります。
 
その代表的なものが「未来形」です。
 
韓国語で未来形というときに、だいたい2つの表現を習うことになります。
 
ひとつは「겠」という単語を使ったもの。
 
もうひとつは「~ㄹ 것이다」という構文表現です。
 


例えば
 
내일 한국에 가겠습니다.
 
내일 한국에 갈 것입니다.
 
という2つの文章があったとして、あなたはこれらをどう訳しますか?
 
ちょっと考えてみましょう。

 


 
・・・。

 


 
どうでしょうか?
 
恐らく両方とも「明日、韓国に行くでしょう」という訳をつけるかと思います。


 
ほとんどのテキストにはそう書いてありますからね。

 

しかし、この二つの表現。

 

日本語にすると同じ意味で習ってしまうのですが、本当は微妙にニュアンスが違う!ということをご存知ですか?

 

明らかに形が違う2つの表現ですので、勘のいい人ならば「使い分けがあるはずだ!」と思っていたかもしれませんが、何が違うのかよくわからなくて、そのまま放置していたかもしれません。
 
 
韓国語のはやはりちょっとニュアンスが違うのです。
 


では、「가겠습니다」と「갈 것입니다」その微妙なニュアンスの違い。

 

具体的にどう違うのでしょうか?

 


この記事では「明日韓国に行くでしょう」という意味の二つの文章、

내일 한국에 갈 것입니다.

내일 한국에 가겠습니다.

にある「未来形」表現の微妙なニュアンスの違いについて説明していくことにします。

 

 

韓国語にはなんで未来形が2つあるのか?

 

韓国語には未来形が2つあると習います。

 

一つはㄹ 것이다
もう一つは

 

しかし、日本語訳をつけるときに、両方とも「〜でしょう」という訳をつけることになっていて、韓国語で作文をするときなどはどっちの表現を使っていいのか迷うことがよくあります。

 

しかし、わざわざ表現が2つあるのに、本当に違いはないのでしょうか?

 


市販のテキストなどにはあんまり説明がないのですが、韓国人の話をよーく聞いていると、実は微妙なニュアンスの差があることがわかるんです。

 

では、どんな差なのか?


それは、「主観的」未来と「客観的」未来という違いです。

 

 

主観的とか客観的とか言われてもとちょっと分かりづらいかもしれませんよね?

そこで、ひとつひとつ具体例を挙げて見ていくことにしましょう。

 

 

客観的未来を表すㄹ 것이다

 

まずは、「客観的」のほうから。

 

客観的な意味を持っているのは「갈 것이다」の方です。

つまり、「갈 것이다」は客観的な未来だということ。

 

客観的未来とはどういうことかというと、

私から見ても、あなたから見ても、そういう未来になるんだよ(なるに決まっている)

という未来を表現するときに使います。

 

그는 내일 한국에 갈 것입니다(彼は明日韓国に行くでしょう)

 

彼が明日韓国に行くのは決まっていることで、あなたが見ても私が見てもそういうスケジュールなんだというニュアンスを出したいときに使うわけです。


主語を自分にして話すときも一緒です。


저는 내일 한국에 갈 것입니다(私は明日韓国に行くでしょう)


の場合、話し手の未来を自分のことにもかかわらず客観的に突き放した感じで言い表しています。

 

このことを踏まえてちょっと意訳してみると、


「私は明日韓国に行くことになっているんです。」


自分のことなのに、どこか他人事というか、勝手にそうなってしまったというニュアンスを出したいときには、「~ㄹ 것입니다」を使うのがいいんですね。

 


かっこよく言えば、「決められた未来」。(別にかっこよくないかもしれませんが・・)

 

「~ㄹ 것이다」というのはすでに決められた未来について話すときに使うので、客観的だということになるんです。

 

 

話し手の気持ちを表す겠


では、主観的未来とはなにか?

 


これはもう一方の「겠」を使った表現になります。

主観的未来とは何かというと、話し手の気持ちや予想を表しているということになります。

 

「겠」という言葉は文法的に「未来」と説明されることが多いのですが、深く意味を見つめてみると未来というよりも話している人の「思い」を表した言葉だと言った方がいい表現なんです。

 

저는 내일 한국에 가겠습니다(私は明日韓国に行くでしょう)

 

ㄹ 것이다を使った文章と同じく「〜行くでしょう」という意味をつけているのですが、겠という言葉を使っているので、決められた未来ではありません。


では、どういう未来なのかというと、あくまで「話し手の人の主観で語られている未来」にすぎません。

「私」が、自分の未来について主観的に自分の気持ちを語っているニュアンスになるんです。


つまりどういうことかというと、話し手が自分の未来に「〇〇するぞ!」という意欲表明をしているだけなんですね。

 

だから、「저는 내일 한국에 가겠습니다」を意訳してみると、「私は明日韓国に行くぞ!と思っているんです」ということになり、もう少しおとなしい感じで訳してみると

「私は明日韓国にいくつもりです」

というニュアンスになってくるわけです。

 

だから、本当に行くかどうかは”わからない”(苦笑)。

 

겠はあくまで「〜するつもりです」という意味だからです。


良心的な文法解説テキストであれば、겠のことを未来形ではなく「意志」という意味で説明しているのですが、겠の意味は未来というよりも話し手本人の「〜するつもりです!」という意欲を意味しているからなんですね。


逆に겠が未来形に分類されてしまうのは、 겠の意味の中心が「話し手自身の気持ち・意欲・意志」にあるので、自分の未来について語るときに使われることが多いからでもあります。

 

ㄹ것이다と겠の違い、何となくイメージがつかめましたか?

 

 

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